アラセブシングルの老境サバイバル日記

往年の「若さと美貌」はどこへやら 、到達点は何と「馬鹿さと貧乏」だった。

『寂聴 残された日々』

瀬戸内寂聴『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)

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このエッセイも、もはや六年めを迎えた。私は今や九十八歳になったが、自分の歳も忘れがちで、今も、横に来た秘書に、
「私、今、いくつ?」
と訊いて、
「また!何度言えば覚えるんですか?」
と、怒られてしまった。秘書は孫より若いので、年々気が強くなってくる。
忘れようとつとめているつもりは一切ないが、覚えようとする気概も全くない。
歳を取るということは、実にむなしいことだとつくづく思う。(中略)
私の晩年を何よりよく識っているのは、この連載エッセイらしい。私の忘れてしまったことも、この連載エッセイの中には、すべて記載されている。言葉を変えれば、私の九十過ぎての遺書になっているのかもしれない。(二〇二〇年七月九日)

 

芭珈紗:まもなく百歳を迎える作家の日常に興味があって、この本を読んでみた。
ビン坊:どうだった?
芭珈紗:秘書に怒られてしまった」とか書いてあるけど、貫禄よね。謙遜なのか、そういう芸風なのか、ご愛嬌なのか、真に受ける人は誰もいない。
ビン坊:作家としての実績と地位とお金があるから、余裕でそんなことが書けちゃうのよね。
芭珈紗:歳を取るということは、実にむなしいことだとつくづく思う」と書いてあっても、悲壮感がなくてユーモアとしか受け取れないわ。
ビン坊:何を書いても、人としての尊厳を保っていられるから凄い。凡人が真似してそんなこと言ったら、大変よ。そのまま受け取られて、ここぞとばかりに周囲から叱咤激励が飛んできて、平穏な日常が台無しよ。
   北条政子の似顔絵イラスト
かつては、確信あふれる他人の言動に影響されることが多かったが、今では自分軸で行動するようになった。今後も、淡々と生きていこうと思う。