アラセブシングルの老境サバイバル日記

往年の「若さと美貌」はどこへやら 、到達点は何と「馬鹿さと貧乏」だった。

『幸福とは何ぞや』

佐藤愛子『幸福とは何ぞや』中央公論新社

私は読書家ではないので佐藤さんの著書を読んだことはないが、この自信溢れる笑顔に魅せられ本書を手に取った。

どうすればこんな笑顔になれるのか? その秘密が本書に?

 

13頁から引用
幸福は人それぞれの価値観によって形造られるものだ。おいしいシチューの作り方を教えてもらっても一向にうまくないと思うことがあるのと同じである。いろんな意見を聞いてそれでわかった気になる、そんな風潮はどこから来たものかよくわからないが、人の意見を聞くよりも生きる力をつけた方が話は早いのに、と私は思う。

私はこう思う
この突き抜けた考え方は心地よい。
世の中、自分のシチューの作り方を押し付けてくるバアサンが多すぎる。
「美味しくない」と言うと「作り方が下手」「貴女の味覚が変」と譲らない。
そんなバアサンとは疎遠になるに限る。そのうち、どちらかが亡くなるだろう。いや、没交渉となれば死んだも同然で実害はない。

 

本文中に「いろんな意見を聞いてそれでわかった気になる」とあるが、私はそのタイプ。
私は、「とてもいい人」である。体力がないので人と争う気力もなく省エネモードで生きてきた。私の場合の「いい人」はバカの異名。これではイカンと思い、本書にツッコミを入れてみることにする。

 

32頁から引用
今は死ねば無になるという考え方の人が多いようです。しかし私は死後の魂の世界について私なりに勉強した結果、死後の世界はあると考えるようになり、従って現世での幸福だけを考えなくなっているのです。

私はこう思う
「死後の魂の世界について私なりに勉強した結果」とあるが、どんな勉強をしたら死後の世界があると思えるのだろう?61頁の「神は助けも教えも罰しもしない」に書かれているようなことだろうか?
私は「死んだら終わり」と思っている。勿論、生体をつくっていた炭素や窒素などの元素は地球上で循環すると思うけど。

 

オバサンが「生命は永遠」とか言い出したら議論を避けるのが賢明。反論すると会話が永遠に続き疲弊して無益。しかし、オバサンはこちらが反論しないと肯定されたと勘違いして益々ヒートアップ。これをスマートにかわすのが真の人間力なのだ。

 

86頁から引用
振り込め詐欺にまだ騙される人がいますけど、そうやって騙されて、損をして、それで人は学習するんですから。
まあ年寄りの場合、いまさら学習しても先は短いといわれればそうかもしれませんが、年寄りでない人たちまで守りに入ってしまうと、人間が伸びないですよね。

私はこう思う
振り込め詐欺なら騙されたことが認識できるが、本人が大変な状況に陥っても騙されたと気が付かない場合もある。他人が指摘すると依怙地になる。こんな学習しない年寄りは困ったものだ。自分で気付くまで放置するしかない。

 

88頁から引用
私なんかは、学歴もないし、文学的素養があるわけでもないし、ほかにできることが何もないから小説を書き始めて、いつ収入がなくなるかわからない状況でやってきましたけど、お金もないのに借金を背負ったり、先のことを考えずに生きてきて、それで案外生き抜けてきたわけですよ。

私はこう思う
私は「学歴もないし、文学的素養があるわけでもないし、ほかにできることが何もない」というような言葉を鵜呑みにはしない。相当の自信と実績がなければこんな発言はできないからだ。
実力のない人間は、学歴や資格を頼りに生活の糧を得るしかない。謙遜は利用されることや反感をかうことを避けるための予防線かと思ってしまう。これぞ下衆の勘繰りか?

 

91頁から引用
人生は自分の力で生きていくものであって、人をあてにするものではないと思っています。

私はこう思う
当たり前のことだけど佐藤さんが言うと妙に説得力があるから不思議。

 

まだまだ、思うところはいろいろあるけれど、長くなるのでこの辺で。