アラセブシングルの老境サバイバル日記

往年の「若さと美貌」はどこへやら 、到達点は何と「馬鹿さと貧乏」だった。

本当に困った時は誰にも頼れない

故郷に住む病弱な母は宗教に凝っていた。床の間には石の建物(?)が飾ってあり、父は「俺の金で勝手に買った」と怒っていた。その宗教がS田J子さんの帰依する○○と知った時は、ビックリ。昭和最後の年、父が病死した。その時、母から「お父さんも一緒にしていた」と聞かされ、さらにビックリ。そう言えば、帰省した時、3畳の和室には前より大きな石の建物(?)が置かれ、かの国の民族衣装を着た母と教祖のツーショット写真が飾られていた。父の援助なしに海外には行けまい。

    チマチョゴリのイラスト     

芭珈紗:父の死後、充分な遺族年金があるはずなのに「20万円貸して」と手紙が来た。おかしいと思い、弟にも連絡した。
ビン坊:貢いでたのね。
芭珈紗:これは一大事と思って、市民相談の弁護士に相談した。
ビン坊:フ~ン
芭珈紗:「母を禁治産者に出来ませんか」って聞いたら「大根1本買うにも手続きが必要になる」って答えだった。
ビン坊:フ~ン
芭珈紗:その若手の男性弁護士は「女の人は、そうなると手がつけられないから、宗教を止めさせなさい」って言うの。それが出来ないから相談したのに。
ビン坊:期待するアンタが間違ってる。身内が対処出来ない問題を他人が解決出来るわけがない。

    霊感商法のイラスト

マインドコントロールを解くのは至難の業だ。
「1992年、I星K子さんが○○に入信し、一時、行方不明に。父親のI干K一氏が60時間に及ぶ説得をした結果、K子さんは教義に疑問を抱くように。その後、2週間にも及ぶ議論の末にK子さんは脱会を決意した。」
当時、この記事を読み、ここまでの行動は自分には出来ないと思った。母は15年前に死去したが、実姉に幾ばくかの借金をしていた。大学卒業後、私と弟が2人とも帰郷せず、自由を選択した結果だと思っている。